吉備津彦神社
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御祭神・由緒
御祭神 大吉備津彦命
相殿
 
当神社は古代より背後の吉備の中山に巨大な天津磐座(神を祭る石)磐境(神域を示す列石)を有し、山全体が神の山として崇敬されてきました。第10代崇神天皇の御世に四道将軍として遣わされた大吉備津彦命もこの山に祈り吉備の国を平定し、現人神として崇められました。諸民と国を深く愛し、永住された吉備中山の麓の屋敷跡に社殿が建てられたのが当神社のはじまりとなります。後に佛教が入り正宮、本宮、摂末社合わせて51社を具え神宮寺や法華堂も建ちいよいよ御神威は広大無辺に広がり古代気比大神宮・大社吉備津宮とも称され朝廷直属の一品一宮、吉備大明神として武将庶民に至るまで厚く崇敬されてきました。
皆様の平穏無事と弥栄を二千年に渡って見守り続けてきた神域は神オワス杜、鎮守のやすらぎの杜として、今なお皆様の祈りとともに守り継がれています。
朝日の宮
 
夏至(太陽の力が最も強い日―6月21日)の日出には太陽が正面鳥居の真正面から昇り神殿の御鏡に入ることから「朝日の宮」とも称されてきました。この事は古代太陽信仰の原点、太陽を神と仰ぎ日本民族と人類の豊穣発展と幸運を祈る神社として吉備津彦神社が創建されたことを象徴しています。 吉備津彦神社写真2
 
夏至の太陽 日の出  6月21日
桃太郎伝説
 
大和朝廷から派遣された大吉備津彦命が吉備の地を平定するに際して、渡来人として吉備の国に製鉄文化をもたらした温羅(うら)との戦いが、童話「桃太郎さん」の物語として今に伝承されています。
 
古代邪馬台国の女王、卑弥呼とは大吉備津彦命の姉である大倭迹々日百襲比賣命ともいわれています。