用語集 glossary

吉備津彦神社サイト内で使用されている用語について解説しております。

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あ行

一品一宮(いっぽんいちのみや)
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■ 一品
神階(神社の位)には位階のほか、皇族に授けられる品位の一品・二品などという、功績に対して授けられる勲等の例もあり当神社が朝廷直属の宮であったことから「一品宮」の称号を授けられた。当神社本殿前、元禄10年の燈籠に「一品宮」と明記されている。

■ 一宮
平安時代から中世にかけて行われた社格の一種。諸国において由緒の深い神社、または信仰の篤い神社が勢力を有するに至って、おのずから神社の階級的序列が生じ、その首位にあるものが一宮とせられ、そのことが公認せられるに至ったもののようである。延喜式(十世紀)には、一宮の名こそないが、祭祀・神階などの点で、他社にまさって有力な神社とせられるものが明らかに見られるので、それらの最上位のものが一宮とせられ、以下、二宮・三宮・四宮などの順位を附けて行ったもののようである。(神道辞典より抜粋)

現在、全国に約100社ほどの一宮が鎮座しています。

氏神(うじがみ)

氏神さまは日頃その地域に住んでいる人々を直接ご守護下さっている直接的に皆様との関わりが深い神様です。私たち日本人は、この世に生まれるとき、結婚のとき、亡くなるときをはじめ様々な人生儀礼において宗教を越えて氏神さまの「むすび」の御神徳をいただいています。ですから古来、氏子は人生儀礼などの節目には必ず氏神さまをお参りし、健やかで幸せに暮らせるようお祈りしてきました。又、日々の生活においても困ったことがあるとき、喜びごとがあったときなど何かとご神慮を仰ぎ、御祈願をすることは"神の子"人としてとても自然な姿といえます。

古い時代の氏子とは、血縁関係にある一族のことを指していましたが、現在ではさらに広義にとらえ、その氏神さまの周辺の地域に居住している人々や、お祭りなどの儀礼に参加する人たち全体を氏子と呼んでいます。 又、特にお生まれになった出生地の氏神さまを産土神社(うぶすなじんじゃ)といいます。

温羅(うら)
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百済から吉備の国に渡来した百済の王子といわれ、吉備の冠者、禍叉温羅(かしゃうら)、艮御崎(うしとらみさき)とも呼ばれる。桃太郎伝説では'鬼'とされ、目は爛々と輝き、髪は燃えるように赤い大男で、妖術を使い口から火を吹いて人々を襲って悪事を働いたとされている。総社市の新山に'鬼の城'を築いて吉備津彦命と戦った。 一方では製鉄をはじめ様々な技術文化を伝えた功労者としての面もうかがえる。事実、吉備や出雲では古来、中国山脈の砂鉄を基とした製鉄が盛んであり'備前'日本刀にもみられるこの地の製鉄文化の発展が物語る。

最近では、'おかやまうらじゃまつり'をはじめ、様々な地域イベントや'温羅'という日本酒の銘柄などもでてきて一躍ヒーローになっています。

お米(こめ)
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この世の中の食物は全て神の恵みですが、その中心に米が位置します。日本では天に、山に、大地の自然の神々に稲作の豊穣を祈り、その幸(実り)に感謝しながら食してきました。

この稲作文化こそがお祭りや祈りの起源ともいえます。近年の食文化は様変わりし、食べ物が粗末にあつかわれる場面も多いようです。地方では、ご飯はお御供(おごく)といって、先ず神棚にお供えすることを象徴した言葉もあります。又 幼少のころ、「お米を粗末にすると目がつぶれるぞ!」とよく怒られた記憶もあります。昭和天皇は生涯お米を一粒たりともお残しになったことがないそうです。全ての食はもとよりお米は特に大切にしましょう。

か行

数え年(かぞえどし)

誕生した時を1才とし、正月を迎えるごとに1才を加算します。日本では古来より数え年が使われていましたが、明治35年施行の「年齢計算ニ関スル法律」により満年齢を使用することになりました。

古来日本では、お正月になると歳神様をお迎えして御魂をいただいて一年が始まりました。

門松やしめ飾りは、神様に家に来て頂くための目印や、お迎えする場所・依代(よりしろ)をあらわし、鏡餅は歳神様へのお供えという意味があります。生まれた時を1歳と数え、その後は歳神様に御魂をいただいて、正月にみんなが一緒に1つ年をとるのです。

数え年は、神様から命をいただいて一年を感謝して送るという意味も含んでいます。

このことから、現在でも神社では数え年を基準にしてお祝いやご祈祷を行ないます。

■ 数え方
今年の誕生日がすでにすんだ人は、(数え年)= 満年齢 + 1
今年の誕生日がまだ来てない人は、(数え年)= 満年齢 + 2

髪置(かみおき) 袴着(はかまぎ) 帯解(おびとき)

中世以来、公家や武家で行なわれていた子供の成長を祝う行事。江戸時代に民衆へ広まっていきました。

・ 髪置とは誕生後はじめて髪を伸ばし始める儀式で、男女共に3歳の年を選びました。
  長寿の人が髪置親として子供の頭に白い綿や白粉をかぶせ、櫛でとかした。

・ 袴着とは、男子5歳の祝として、初めて袴を着用する儀式。
  帯解と同様に、紐落し、帯直しともいう。

・ 帯解きは初めて帯をする女子の祝で、紐落し、帯祝いともいいます。
  それまで帯の代用をしていた付紐を取り去り、衣服の脇をふさぎ、帯を着用したのです。

他に深會木といって髪を切り整える祝いの儀式もあったようです

七五三祝が11月15日に定着したのは、天和元年(1681年)将軍徳川綱吉の子徳松君が、この日に祝ったのが前例となったと伝えられています。

吉備の国(きびのくに)

現在は岡山県の呼称であるが、古代においては現在の岡山、鳥取、香川、兵庫の加古川あたりまで、広島の福山のあたりまでを含んだとされる。大化の改新(645年)以降は備前、備中、備後、美作の国をいう。

吉備王国、吉備王朝とも称され当時は大和朝廷とも並ぶほどの大きな勢力があったという。

さ行

三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)

流造りは、神社本殿の最も普遍的な建築様式。平入りで、正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が、長く延びた形式である。本体部分を身舎(もや)、長く延びた軒屋根部分を向拝と呼ぶ。

本殿の大きさは、正面から見たときの柱間の数で表され、例えば、正面に柱が四本立っていて柱と柱の間が三つであれば、三間社と呼ぶ。実例では、一間社が圧倒的に多く全国の九割以上を占める。神社建築には他に、神明造り、大社造り、住吉造り、春日造り、八幡造りなどがある。

四道将軍(しどうしょうぐん)

崇神天皇の御代、勅命を受け日本平定のために使わされた四人の将軍(よつのみちのいくさのきみ)(古事記中巻の五十四崇神天皇の事項に記載)。大比古命(おおひこのみこと)を北陸道に、武沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)を東方十二道、吉備津彦命を山陽道に、丹波道主命(たにはにみちぬしのみこと)を丹波路に、各々遣わして国家鎮護の任を命じたとされています。

摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)

摂社、末社というのは本社(本殿の神)と比較しての、その社(やしろ)の称呼であって、いわゆる本社の管理下の枝社(えだやしろ)であり、本社との祭神系統、又は特に本社と重き関係を有する社のことを言います。それ以外にもその土地に縁のある神を祀ったりもします。中でも摂社はその由緒から本社に継ぐ社格となります。

およそ摂末社は本社の境内に鎮座しますが、境内の外にお祀りされている場合もあります。当神社の子安神社は藩主池田公が厚く崇敬され、ことのほか御神威(おかげ)がとても高かったことから摂社に列せられたと考えられます。

※ 注 社格は、およそ古事記、日本書紀による神々の系譜順(血縁や順番 位)とは合致しません。

た行

玉串(たまぐし)
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主に榊などの常緑樹の枝に紙垂(しで)や木綿(ゆう)を付けたもので神道の祭礼やご祈祷には欠かせないものです。玉串の玉は魂を表し、神と人の霊を真っ直ぐにつなぐもので、真心の祈りをこめて神前に奉(たてまつ)ります。これを玉串奉奠(たまぐしほうてん)と言います。

ま行

摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)

摂社、末社というのは本社(本殿の神)と比較しての、その社(やしろ)の称呼であって、いわゆる本社の管理下の枝社(えだやしろ)であり、本社との祭神系統、又は特に本社と重き関係を有する社のことを言います。それ以外にもその土地に縁のある神を祀ったりもします。中でも摂社はその由緒から本社に継ぐ社格となります。

およそ摂末社は本社の境内に鎮座しますが、境内の外にお祀りされている場合もあります。当神社の子安神社は藩主池田公が厚く崇敬され、ことのほか御神威(おかげ)がとても高かったことから摂社に列せられたと考えられます。

※ 注 およそ古事記、日本書紀による神々の系譜順(血縁や順番 位)とは合致しません。

桃太郎(ももたろう)さん
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第10代崇神天皇の御世に、温羅の討伐を命じられた五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)、後の吉備津彦命。 吉備津彦命は温羅の投じる岩に対して2本の矢を同時に射て温羅の左目を射抜く。温羅が雉に変化して逃げると命は鷹になって追う。最後は鯉になって川に逃げた温羅を命が鵜になって飲み込んで退治した。 童話では、川でお婆さんが洗濯をしているときに、流れてきた桃から生れた桃太郎が、悪事を働く鬼ケ島の鬼を、犬、雉、猿にきび団子をやってお供にして鬼退治をしたことになっている。

桃太郎さんの物語にはたくさんの諸説がありますが、この地方には物語を実証する史跡や神社などが実在し人々の心をくすぐってやみません。温羅は決して悪者ではなく戦わざるをえず命と戦かってしまった悲哀を綴ったロマンあふれる桃太郎伝説などもあります。

〝もうひとつ〟
当神社の本殿を囲む末社の神さまと桃太郎伝説を比較すると下記のようになります

■ 犬
十柱神社の祭神-片岡(犬飼)健命 猟犬を飼育、操し、朝廷に仕えた一族。子孫は現在の犬飼(犬養)家といわれる。

■ 雉(きじ)
楽御崎神社の祭神-楽々与里彦命・楽々森彦命 伝説では、百里を飛ぶ能力を持つ術師。子孫は現在の鳥飼家、鳥越家といわれる。

■ 猿
楽御崎神社の祭神-楽々与里彦命 楽々森彦命 吉備津彦命の軍師的存在。子孫は現在の高塚家、藤井家といわれる。

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